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真言宗
萬年山安養院瀧湖寺
奥之院笠ヶ瀧
瀧湖寺 本坊
縁起には弘法大師、唐よりの帰途に海難をここに避け、大師は仏法良縁の地として霊場を開き自ら堂宇を建立した。その後に唐より持ち帰った天竺八塔の土をこの寺に埋めて瀧湖寺と号されたと。寛政初年に火災で焼失、瀧湖寺本堂記・萬年山龍王宮縁起・文政元年萬年山瀧湖寺第七代現住権大僧都法印一相記が有った。また高松城主生駒騒動の首謀の一人、上坂丹波守の位牌をお祀りしていた。(昭46,12,30発刊土庄町誌)
昭49,11,22、御燈明と思われる火元から不慮の大火により本堂・客殿・庫裡・茶室・倉庫・寺縁起書物・寺宝等を焼失。仁王門・稲荷社・鐘楼堂・旧会館・大石灯篭・奥之院が残り、再建立された回廊型現本堂内の全壁面には永代供養霊壇が設けられている。
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